「色々お願いしてもお金が入ってこない!」の理由が意外なところにあったよ、って話。

「ワークやおまじないをしても何故かお金が入ってこない…」→意外なところに思い込みがあった!

お金に関しては最近、私もちょっとした気付きがありまして。
拝読しているメルマガで「今まで入ってきたお金に感謝するワーク」っていうのをご紹介されていたので、試しにやってみてたんですよ。
で、そこで気づいたんだけど、私、お金というものに対して、「良くも悪くもまじで何の感情も抱いてないんだな…」ってしみじみ思ったんですよね。

でもまあこれって結構、私にとっては今更な話といいますか、以前から自分でカードに訪ねてみたり、天使さんと脳内会議(笑)してるときに言われたりしてたんだけど、「君にあるのはお金に対してのブロックじゃない、仕事に対してのブロックなんだよ」って。

(「ブロック」ってわりとよく使われる表現なんですけど(そういえば出自をあまりよく調べていない…)今回の場合は「とても悪いイメージがある」くらいの意味合いで捉えておいて下さい)

それで、その仕事に関するブロック、悪い思い込みっていうのがこれまためちゃくちゃ単純でですね、「私が子どもの頃に『仕事』というものに対してとっても悲しい思いをしたから仕事なんてしない~!!だいっきらい!!!」っていう感じだったんですよね…(笑)

さてなんでそんな思い込みが生まれたかと言いますと。
うちは両親が共働きで、まったく家に居ない家庭だったんですね。で、子どもの頃の私はそれを見ていて(あるいは感じていて)「両親は私よりも仕事のことを優先している…仕事のほうが好きなんだ!!」って思っちゃって、「お仕事がなければお父さんもお母さんも一緒に居てくれるのに…もう、お仕事なんか嫌い!!!私は絶対やらないんだから!!!(だって私が仕事すると私のこと好きな人が今みたいにしょんぼりするもんね!)」ってなってたみたいなんですね。笑
いや我ながらすごい思い込みだな…つまりは「インナーチャイルドが勘違いで拗ねてた」ってやつなんでしょうが(これは多分まだ進行形な気もしますが、気付いただけでもまあヨシ!)

両親不在は子どもにとっては死活問題なのでまあやむなし

まあ、流石に大人になった今の私がきちんと考えてみれば、おそらく両親は「働いてお金を稼ぐことはとても良いことだ、それが成功なんだ」と思っていたと思うんですよね。いわゆる高度成長期にバリバリ働いていた人間ですのでね、そういう価値観があるのも頷けるんですよ。…というかふたりとも、今になってもまだ働いてるんですよ、もうとっくに還暦迎えてるのに。いや元気すぎんか?笑

うちの両親はある意味「働いていないと不安になっちゃう人間」というか、それ以外の選択肢が考えられない時代の人間でもあったんじゃないかな、と思うんですよね。
ですので、ある程度は仕方ないとは思うのですが、やっぱり今になってみても、「もうちょっと家庭のこと考えてくれても良かったんじゃない…?」と思ってしまいますよ…(うーん、まだ拗ねてるなこれは…笑)

スピリチュアル的な観点から言えば、女性性が足りない家庭、って感じだったんでしょうね。母親(役)不在。実際、父と母の喧嘩の常套句は「家に男は二人もいらない!」でした。笑 いやお前ら問題わかっとるやないかい!! と思わずつっこんでしまいますが。

まあ、色々思い込みはありましたが、とりあえず「仕事」自体は悪ではない。それは確かなわけです。
これは完全なる私の思い込みといいますか、お仕事のおかげで私が見てもらえなかったじゃん~ムキ~!!っていう恨みの塊のようなものなので(笑)、今はむしろ「社会に貢献出来る両親は素直にかっこいい」と思えているし、もっと早くその境地に辿り着いておきたかったな…と感じております。でも今はその前に、放ったらかしていた拗ねっぱなしの自分を素直によしよしして甘やかしてやらねば…!

自分の中の「お金」に対するイメージを改めて考えてみた結果…

さておき、話は結構戻りまして、ワークのときに感じたお金のイメージについて。

私、けっこう昔からそうなんですが、まじで「稼ぐ」という思考がないんですね。能もないですがそれはおいといて。笑
金欲もないのよね。マネーゲームで遊ぶっていうことも全く興味ないし。やってる人は楽しそうだなって思いますけど、まあ本人は遊んでるんだから当たり前ですよね…。
でもまあ、そこまで行かずとも、人間、生きていれば欲しいものはそりゃ出来てきますし、解決する手段はお金であることがほとんどなはずです。
お金というものは、人間社会では広く普及している「皆に共通する通貨(という概念)」なので、そりゃ手元にたくさんある方が良いに決まってるよね、とは思っていた…って書き方からしてすでにお分かり頂けるかもしれないですが、そう、昔から「そういうシステム」くらいにしか思っていなかったんですよね…笑

で、実はこれで結構困っていたわけですよ。だって、興味があろうとなかろうと、お金というものはどうしても必要になってくるじゃないですか、人生。でも、何故か手に入れようと躍起になることも出来ないし、ちっとも入ってこない。何故だ…? ってなりますし、普通に働いて、普通に稼げる人が心底羨ましかったわけですよね。やっぱ自分って変なのかな…とか思っていたわけ。いやまあ結構変な気もするけど。笑
それで、前述した「お金に感謝するワーク」をやってみたわけです。

そこでふと浮かんできたイメージが、私の中で「お金」という概念は限りなく純粋で透明なエネルギー…つまりは澄んだ湧き水のようなもの、だったんですね。

綺麗な上に無限に湧く。すごい。とんでもねえ。

これは皆のもので、全ての人に得る権利が与えられていて、皆が平等に享受することが出来る。そんなめちゃくちゃクリーンなエネルギー。でも、場合によっては取りに行くのはちょっと大変だぞ、みたいな高山の湧き水っぽい感じ。でも、地域によってはお庭に綺麗な湧き水の井戸があったり、蛇口捻れば温泉が出てくる! みたいなところもあったりするじゃないですか。笑 そもそも日本は水に関しては豊富な方の国でしょうし。なんかそんな感じで、手に入れる難易度には差があるけど、誰もが自由に使えるもの、って感覚だったんですな。

こうやって改めて考えてみると、確かに「お金自体にはブロックはない」って言われたのも頷けます。だって、上に書き出したようなことって、全然悪い印象じゃない。むしろ、大切な資源なんだからもっと大切に使ってあげなきゃ! って感覚すらある。それくらい、私にとって、お金というエネルギーは綺麗で大切なもの、だったんですね。
(思えばわりと天然石にも似た感覚があるな…地球からの贈り物、って感じだからでしょうか)

そんな感じで、お金というものに対してのイメージが「取りに行くのがちょっと大変だけど生活必需品でもある綺麗な湧き水」みたいな人間からすると、「人からお金を頂く」ということは、「この人が高い山の上に一生懸命登って採ってきた水を分けてもらう」みたいな感じになってしまうわけでありまして…それだけならいいんだけど、そこでさっき書いた、私の「仕事に対するブロック」が出てくるとややこしくなっちゃうんだな~。

「お金がうまく受け取れない」理由の、まさかの結論…!?

今の社会では大抵の場合、「お金を頂く」ということは何らかの労働(前述のブログのお言葉を借りれば、「先に出すこと」ですね!)に対する対価、って形じゃないですか。
でも、さっきの私のお金に対するイメージだと、「働いている(労働している)人」って、「お水を採ってきてくれる方の人(=お金を払っている方の人)」になっちゃうわけなんですよね。

や、ややこしい~~~。

何言うてんねん君は

多分、これを読んでる方は「何言ってるんだこいつは…」と混乱していると思いますが、私も自分で書きながらちょっと混乱しています。笑

改めて整理しますと。
私にとっては(あくまで私の感覚の上では、の話なので皆がそうではないですよ)
「私にお金を払おうとしてくれる人がいる=お水を運ぼうとしてくれる人が働いてしまう!=働くということはこの人に関わる誰かが過去の私のように不幸になってしまう!?」って方程式になっちゃっているわけですよ。つまりは捻れまくった思い込みですよね…。
なので私は、自分がお金を受け取りそうになると、「いやいやお気遣いなく!!」って思いっきり断っちゃうんですよ。もちろん無意識でね。そうすると、水はここには届かないよね。つまり働く人は居ない。でもそれでいいんです。だって、これで「働いている人に放置されて悲しむ人」は生まれないんだから! やったー! 

…って思っていたわけだよつまりは。いやどういうことだってばよ深層心理くん…こうやって書き出してみるとまじですごい捻くれた思い込みですね…笑

つまりこれって、私には永遠にお金は入ってこないんですよね。実際、確かに私が受け取れるお金ってめちゃくちゃ少なかったんです。額が、というより入ってくるラインが、って感じですが。それは自分の中で、「お仕事をしたら不幸になってしまう人がいる」という前提をなんとか除外出来た場合でないといけなかった。つまりは受け取れるのはホワイトリスト式だったんですよね。あるいは、自分で山に登る!笑
つまりはめちゃくちゃ苦労しないといけなかったわけです。

でも、そんな事言いながら、自分は人になにかしてあげたいな、って思うので、平気でタダ働きするっていうダブスタ人間。笑
これに関しては考えてみましたらなんときちんとした理由がありまして、「いや、これは仕事じゃなくて趣味なんで。好きでやってるだけなんで」という逃げ道まで作っていたわけである…なんでや…周到すぎるやろ私の深層心理…こわ…
まあでも、それだけ私の中で「仕事のせいで放置されていた、と感じた」という事実は大きくて、悲しかったので、他の人にも味わってほしくなかったわけですね。ちょっと歪んだ優しさだったわけです。ということにしておこう。美談っぽいし。

とまあ、そんな感じで。人間って結構簡単に、自分のこと欺けてしまうんですよね~。どう考えてもおかしいじゃろそれは、って理屈で上手いことだまくらかしちゃう。よろしくないね。よろしくないよ!

よくないよ!

「手に入れられない」「受け取れない」…そうなってしまう悪い思い込みは、何もお金や仕事に限った話ではないわけで。

つまりは、私みたいに自分の中で「こうなってほしいってずっとお願いしてるのにならないじゃん!!」ってことがあったとしたら、何か別の問題に隠されていたり、置き換えられてたりするってことは往々にしてあるよ~、というお話。
それもなかなか自分では気づけないんですよね…あまりに当たり前になりすぎていて、疑うことすらしなかったりするんですよ。それどころか私みたいに、「いや趣味なんで」とか言ってごまかしてたりするからね!(笑)それが難しいところ。

でも、こうして「あれれ~?おかしいぞぉ~?」って気付くためのきっかけも、その辺りに転がっているはずなんですよね。大切なのは、いかにそれをキャッチ出来るかどうか。
そういうときに、占いやワークをしてみたり、ヒーリングしてみたり、天使さんや自分の中で頼れると思っている存在に尋ねてみるっていう選択肢もアリなんじゃなかろうか、と改めてしみじみ思いました。

自分も困ってるんだけど糸口がさっぱり見つからん…誰かに相談したいだけど言える相手がおらん…というときは、つきのもお話を聞くことくらいは出来ますので、どうぞ気軽に頼ってくださいね☆

私はもちろん、天使さんも石さんもカードさんも待ってるよ~!
ココナラさんで受付中のメニューはもちろんですが、
ブログコメントでもTwitterのDMでもなんでも、楽な方法でお届けいただければと思います。
近々マシュマロも置く予定なので、よろしければ気軽にお悩み相談ぽいちょしてやってください。

…あっ、なんか占い系ブログとしては綺麗にまとまった気がするゾ。やったね。

正直に言えば、今回のお仕事の話も、自分の中ではまだまだ解決したような気はしていません。ですが、気づかなかったときよりは数倍マシだよね! ってことで、せめてお金という名の水を運んできてくれる人には感謝の気持ちを忘れないようにしよう…そして、水そのものにも感謝…と思ったわけなのでした。あと欲しいときは素直に言おー。笑

以上、今回はここまでです。
読んでいただいてありがとうございました☆


皆幸せにな~あれ*ଘ(੭*ˊᵕˋ)੭* ੈ✩‧₊˚まったね~

つきのより。

ブログ内のイラスト素材はいらすとやさんよりお借りしました(大好き)

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